オガール

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プロジェクト経過

2011.05.28

春耕  田掻きと蛙の大合唱、そして田植え

春の農繁期の一大行事である田植えだが、ここ紫波では今週でほぼ終了と見ても良い。
例年より少し遅目かもしれない。
私事ながら、我が家では、雨模様の間を縫った21日、22日の二日間で無事終了していただいた。
春のメインのこの作業は、最近は集落営農で委託している農家が多いと思われるが、しかし、終われば一安心には違いない。    

機械は8条植え。30aを40分ほどで植えてしまう驚く速さ。背景の山は紫波町に中心部にあって桜で有名な「城山公園」である

田植え後のその夜、ふと耳を澄ませば蛙の大合唱であった。
そういえば、田んぼの蛙はいつ鳴き始めたのだったろうか。
 「啓蟄」か? 
紫波周辺はそんなに早いはずは無い。
第一、虫たちが這い出してくるころの啓蟄。その虫の中にカエルも含まれていたかしら…。   

我が家の蛙たちは、まずは春早い畑の耕起の時、否応なく目覚めさせられる。
心地よく睡眠を貪っていたのだったろうか。驚いたように這い始める。
申し訳ないように思うが、お前達だけを考えているわけにはいかないのだ。
しかし、その時からすぐに鳴き始めることは無いような気がする。
確かなのは、水田の「田掻き」が終わった後だ。   

人口減少の人間共と違い環境保全農業も後押ししているのか、蛙の数は全く減ってはいないような気がする。
この鳴き声は田舎の水田地帯ならではの「音」である。
私は季節を思う時の音としてこの鳴き声が好きであるし、聞きながら眠りにつく子守唄でもある。   

それほど多くの蛙の種類が生息しているとは思えないが、この鳴き声も実に多彩である。
1匹が多くの声を鳴き分けているのだろうか。会話か? 雨乞いをしているのか? はたまた恋を語っているのだろうか。
そんなことを考えながら聞き耳を立てているとすぐに寝付いてしまうのである。   

我が家の田んぼの蛙 その1.おんぶしているのは子蛙か。この後、おんぶのまま泳ぎ去った

が、聞く人によっては不気味な鳴き声、呪いの音、騒音であったりするのではないだろうか。
都会から嫁いできた女性にとって喧騒の種類がまるで違うことに驚くと思う。
ともあれ、防音などというしゃれた装置の無い田舎家はこの声は宿命であり、空気みたいに「無意識化」することが暮らす術である。

我が家の田んぼの蛙その 2.頭だけ出して浮いている。最も多くいる蛙

蛙の合唱。これも「都市と農村」の田園都市の現実である。
が、ここに生の営みを見つけてこそ紫波の中の郡部の生活の楽しみとなるよ、と言ったら叱られるだろうか。
オガールエリアは紫波の新しい田園都市として生まれ変わる。
西隣は水田になってはいるが、蛙の騒音の心配は無い。念のため。
因みに、一般的な水田の春耕は、①耕起(田起こし)、②田掻き(荒掻きとも)、③代掻きであり、この後④田植えへと続く。
農作業が機械化されたことはそのとおりであるが、田植えほど省力化の功績が大きいものは無い、と思うのは私ばかりであろうか。   

昭和30年代の、私の小学生時代の記憶では、田植えは、それは、それは賑やかなものだった。
「苗とり」(苗を苗代から抜いて束ねる人、ネエトリ。主に男性陣)、
「こなつばりっこ」(苗束を田んぼに運び、田に投げ入れるなど植える人に渡す役。子供たちの役割として総称していた)、
「植えっ人」(ウエット、植える人。早乙女=サオトメと言われるように主に女性陣)、その人たちの朝食や昼食、小昼(コンビリ)を作る台所の人たち。   

小さな農家である我が家でも総勢50人弱にはなったと記憶している。
お祭り騒ぎというか、楽しく賑やかであり、男性陣と女性陣の間を行き来する子供たちを無視して日ごろの鬱憤を晴らしているらしい
「大人の会話」を盗み聞きして、耳学問に勤しんだ記憶も甦る。   

昭和40年前後の町内の田植の様子。写真は植えながら後ろの方向に進んでいるが、逆に進行方向に向かって植えていくやり方もあった

そんな田植えだったものが、現在ではせいぜい4人から5人もいれば十分で、なおかつ当時の何倍もの面積を、あっという間に植え付けてしまう。
「本当にすごいなあ」と感心してしまう。
この成果は人口減をもたらしたものか、人口減故に機械化が促進させられたものか? いや高齢化が起因なのかな?
自分の田んぼながら大規模農家に頼んでいる我が家。その手伝いをしながらそんなこと思った。

この日は4人での田植作業であった

そうそう、夕方、自分一人ではあったが「早苗振り」(サナブリ。田植えを終えて一安心の楽しみ行事。多くは飲食で慰労し合う)
だけはしっかり、かつタップリやったことはお記しておきましょう。
その日曜の夜の蛙の大合唱は、実はほんの少ししか記憶に残らないでしまったことも…。

※ 古い田植風景の写真は紫波町企画課・紫波町広報からお借りしました。   

〔担当;G〕